こどもの病気の対応

―新型インフルエンザ登場―

インフルエンザは、インフルエンザウイルスによって引き起こされる急性の熱性疾患で、届出伝染病の一つです。ただのかぜ(普通感冒)とは全くちがう病気です。このウイルスは半径数メートル以内で感染する普通感冒ウイルス(ライノウイルスなど)のように、そばにいる人に唾液や鼻汁などの飛沫(ひまつ)で感染しますが、さらに特徴として数キロメートル以上の長距離を飛沫核 (注1)中の乾燥ウイルス粒子として漂い、風に運ばれて感染します。これを飛沫核感染といいます。

 
注1 :飛沫核(ひまつかく); 痰や唾液が空中で乾燥して微小な塵となったもの


すなわち一人患者が発生すると、直接その患者と接触していない人でも風向きで感染することがあるのです。そして潜伏期間(注2)が1〜3日と短く、伝染速度がきわめて速く、また新型ウイルスが出現した直後には世界的な大流行を引き起こすことがあります。日本では毎年冬季に例外なく流行が見られています。

 
注2 :潜伏期間; 病原体が侵入・感染してから、発病するまでの期間

世界的な大流行が周期的に起こるのは、他のウイルスには見られないインフルエンザウイルスならではの原因があるからです。インフルエンザウイルスはウイルス粒子の内部に存在するタンパクの血清型(注3)により、A型、B型、およびC型に分類され、このうちA型とB型が流行を起こします。

 
3 :血清型;抗原抗体反応で分類した時の型でグループ毎の認識標のようなもの

A型インフルエンザには、感染に重要な役割を担う2種類のウイルス表面の糖タンパクである、ヘマグルチニン(H)とノイラミニダーゼ(N)が存在し、その抗原性の違いから3種類の亜型(H1N1、H2N2、H3N2) (注4)が存在します。HNは、抗原変異(注5)を起こしやすくインフルエンザが毎年流行する原因となります。

 
4: H1N1型; 1918年のスペインかぜ(正確にはHsw1N1) 1947年イタリアかぜ、
     1977年ソ連かぜ
     H2N2型; 1957年のアジアかぜ(以後消滅)、H3N2型; 1968年の香港かぜ

 
5: 抗原変異;これには連続変異と、不連続変異とがある。
     連続変異とは流行のたびに少しずつウ イルス表面の糖タンパクが変化すること。
     不連続変異というのは、10年ないし数十年に一回 程度の大変化で
     新型ウイルスの出現を意味する。抗原変異はA型ウイルスにのみ見られる特徴 である。


インフルエンザウイルスは、ニワトリ、アヒル、カモなどの鳥類、豚などの家畜、およびヒトが罹患(りかん)します。それぞれの種(しゅ)ごとにトリ型、豚型、ヒト型インフルエンザと呼ばれ、通常はそれぞれの種内で感染を繰り返していますが時に種の壁を乗り越えることもあります。

とくに冬季北國から飛来するカモが、アヒルなどのトリから豚などの家畜へのウイルス伝播(でんぱ)を媒介しているらしいことが指摘されています (後述)。

鳥類の体内ではウイルスの遺伝子構造が安定していて変化しにくいのですが、豚やヒトなど恒温動物の体内では次々に感染を繰り返していく途中で、HNが少しずつ変化をしていくことがあります。すなわち連続変異です。結婚式のお色直しで新婦は毎回化粧を変えて登場しますが、もちろん新郎にとっては先刻見慣れた顔のはず。『おっ!少しケバイけどこれもなかなかいいね』ぐらいで済みます。

ところがとなりの式場から全然別のお嫁さんが紛(まぎ)れ込んで席に着くと、新郎も『ギョエ!これがうちの嫁さん?』となって、式場全体もパニックになるでしょう(ウン、歓迎なんて言うてるの誰?)。

最初とは似ても似つかぬ顔つきになった新婦が不連続変異つまり新型ウイルス登場というわけです。

1977年のソ連かぜ以降現在まで、A香港型、Aソ連型、B型の3者が交互にあるいは混在して毎年流行しています。最後の新型であるA香港型が登場(1968年)してすでに30年も経過しているため、次の新型ウイルスが登場するのは間違いないだろうと予測されています。

この新型が日本に上陸すると、国民の4人に1人(3千万人)が罹り、死者は少なく見積っても3万人と推定されています(注6)。しかも今年すでに、トリ型インフルエンザウイルス(H5N1)が香港でヒトの世界に初登場し、少年がライ症候群(注7)で死亡しているのです。


注6:1918年のスペインかぜの場合、世界中で患者総数6億人、死者2300万人、
    わが国での患者2380 万人、死者38万人、1957年のアジアかぜの場合、
    わが国での患者100万人、死者約8000人、 インフルエンザが誘因での
    死者2万人以上と推定。現在でも毎年数十万人(定点調査のため、実 際には
    公表数の約20倍、すなわち数百万人〜2千万人)の患者と、数百人の死者が
    報告されて いる。上記の実績より新型ウイルス出現の場合の被害を予測したもの。

注7:ライ症候群; 脳と肝臓その他の臓器が同時におかされ、多臓器不全の形となって、
   きわめて すみやかに死亡する可能性の高い病態。インフルエンザウイルス単独では
   発症しにくいとされ、 解熱剤(とくにアスピリンなどの抗炎症作用のある解熱鎮痛剤)
   との関係が推定されているが、 まだ不明な点が多い。

A香港かぜの場合にも、新型ウイルスが登場してそれが世界中に拡大を始めたのは2年後ですから、このH5N1というヒトにとっては全くなじみのない新型ウイルスが、そのまま次なるターゲットを求めて人の世界へさらなる旅立ちを続けるのか、それとも一人の患者発生だけで終るのかはまだ何とも断言できません。

しかしインフルエンザの専門家はこのH5N1という新型ウイルスの観察を続けています。それは、この第1号患者が香港で発生したからなのです。

最近のウイルス学と疫学研究の結果、新型インフルエンザの発生地は中国南部であることが判ってきました。現在でもこの地方にはアヒルなどの水鳥や、鶏、および豚が無数に飼育されています。

これらの動物はそれぞれの種ごとのインフルエンザウイルスをもっているわけですが、そこへ冬季になると北國からカモが飛来して、種の壁を取り払う役目(ウイルス伝播の媒介者)となります。トリ・豚・ヒトが大規模かつ広範囲に共同生活をしているのは、世界中でもこの地域だけなのです。

というわけで、トリ型インフルエンザが香港でヒトの世界に登場、ということの持つ怖い意味が分かると思います。しかし経済的な背景や生態系全体を考えると、発生源が分かっていてもこれを取り除くことは困難です。

そこで課題になってくるのが、ワクチンによる予防です。従来インフルエンザワクチンは学童を対象に集団接種されていたのですが、アレルギー性の脱髄性脳脊髄膜炎(だつずいせい のうせきずいまくえん)という重篤な副作用が数十万人〜100万人に1人くらいの頻度で発症し、各地で訴訟が提起されました。このため行政も1994年に集団接種を中止し、任意接種(自費)に切り替えたわけです。

小・中学生はインフルエンザに罹ったとしても大体は自然に治癒しますから、無理に予防接種などしなくてもよいのです。 (学校が集団感染の場になるため、大流行を断つという目的があったのですが)。

ところが、乳幼児や老人の場合インフルエンザは全く異なった様相を見せます。乳児・幼児におけるインフルエンザ脳症・脳炎・ライ症候群の頻度は、ワクチンによる副作用としての脱髄性脳脊髄膜炎よりも数十倍〜100倍くらい多いと考えられるからです。

昨年度のインフルエンザ流行(全国の推定患者総数700万人)による疫学統計によっても、ワクチン接種を受けたグループからは1人も脳炎・脳症・ライ症候群による死者や重篤な後遺症が発生していないのに、ワクチン未接種グループからは、200人を超える小児がこれらの合併症に罹り、半数が死亡しているからです。

老年者の場合には肺炎を合併して重篤になる例が多く、大流行の年にははっきりと老年層の超過死亡(注8)という数字で示されます。 幼児・老年者にこそ、まず予防接種を実施する意義があるのです。

 
注8 :超過死亡; 平年よりとび抜けて多い死亡数。疫病の流行年にみられる。
     97年1月の厚生省の調 査では、全国の特別養護老人ホーム入居者だけで、
     92名がインフルエンザおよびそれに合併し た肺炎などで死亡している


現在のインフルエンザワクチンは副反応(発熱、局所の腫れや発赤)や副作用のもととなる脂肪成分を極力のぞいてありきわめて安全なワクチンの一つになっています。このワクチンでインフルエンザを完全に予防できるわけではありません。 理由は毎年わずかな抗原変異があって、前年度と全く同じ型が流行するわけではないからです。しかし、新婦の顔を一度は新郎に見せておくことが大切なのです。そうすれば、見分けがつかないほどの厚化粧にならない限り新郎も心構えが可能(あらかじめウイルスを迎え撃つ抗体を産生しているので軽症で済む)でしょう。

新型も登場し大流行が間違いなく予測される事態なのですから、重症化しやすい高齢者には無料接種をすればよさそうですが予算もメドが立たず、ワクチンの供給態勢も低下してしまって今シーズンの現状では73万人分しか生産できないとのことです。なぜならインフルエンザワクチンの生産には発育鶏卵が必要なのですが、集団接種が取りやめとなってから受精卵の受託農家は壊滅し、ワクチン会社も2社が生産を中止しました。

米・英・仏では、すでに新型ウイルスの登場に備えて国家危機管理対策を完成し、必要なワクチンを即座に供給できる態勢を整えたと伝えられます。インフルエンザの大流行はGNPを極端に低下させ経済を破局に導く国家の危機に相当するのです。そういう認識が必要です。

ところが日本では今年10月下旬にようやく『新型インフルエンザ対策検討会』の報告書が提出された段階で、国家危機管理対策の遅れは明白です。この報告書ではワクチン接種の優先集団として集団A(最優先集団)〜D(幼児、小学生)に4分類しています。集団Aに属する高齢者だけでも2千万人分以上のワクチンが必要ですが、供給態勢が上述のようにきわめて不十分ですから、実際にはこの行動計画も絵に描いたモチに終る可能性が濃厚です。もしも今新型ウイルスが日本に侵入してきたら、少ないワクチンの奪い合いが起こることは必定です。

年末の寒い時期に何だか恐ろしく寒い話で恐縮です。新型が入国しないことを祈っています。米国ではインフルエンザワクチンの点鼻スプレーによる臨床試験が良好な成績をおさめているそうです。そちらにも期待しておきましょう。

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