くろ通信2001-12

 今年も最後になりました。日本社会は長期の構造不況から抜け出せずに苦しんでいますが、スポーツ界での同胞の国際的活躍と、内親王ご誕生のニュースは将来に希望を抱かせる話題でした。落葉が終わりひっそりとたたずむ冬木立も、そっと近づいて見るとすでに新しい芽が準備されています。木々がいっせいに芽吹く頃、日本社会もふたたび飛躍することを心から信じて、この通信も2001年を終わりたいと思います。

「こどもの病気の診かたと看かた (63)赤ちゃんのスキンケア」

 寒暖の差のおおきい季節には、暖房器具を多用するため、どうしても室内は乾燥しがちになります。冬は、肌のよわい方にはつらい季節です。 とくに、赤ちゃんや幼児の肌のお手入れでは、成人とは異なる特ちょうがあり、何気なく失敗をくり返していることが多いものです。
 
 赤ちゃんの肌は、建物にたとえれば、外かべのタイルになる、表皮 (ひょうひ)の角質層が非常にうすく、わずかな刺激ではがれやすいのです。 しかも、セメントに相当する脂肪 (セラミド)を作るはたらきが弱いので、ひっかくことや、こすることに対して弱くなります。

 少し乾燥すると、すぐに表面がパリパリ。さらにお風呂で、せっけんまみれにしてこすりあげ、もともと少ない脂肪をはがしてしまう…。
 
 もっとひどい結果は、その後のスキンケアで起こります。
カサカサ肌を少しでも早くツルツルにしたいため、軟膏やローションなどをタップリコッテリと、良くスリこんで厚塗りする方が多いのですが、実はこれが事態を悪化させるもと。

  赤ちゃんに軟膏を塗るときには、指を往復させてはいけません。 指は1回だけ横に引きます。すりこまないでください。

 少量の軟膏を、小指の頭ほど手のひらにとり、それを指で、うすく広げます。あらかじめ、非常にうすい軟膏の膜を作るわけですね。
この膜をそうっと、赤ちゃんの肌に移してあげるのです。

  1回の量はできるだけ薄く少量にしますが、年齢が少ないほど、回数は多くします。赤ちゃんですと、毎日5〜6回くりかえします。1週間ほど、この方法で実行して、従来の方法と比べてください。

「こどもの病気の診かたと看かた>(64)児童虐待と日本社会の精神的風土」

 児童の虐待問題がメディアによって大きく取り上げられるようになりましたが、専門家の意見にも、おや?と思われるものがときどきあります。

 私が違和感を覚える意見とは、「虐待を受けているこどもからの SOSを周囲の大人が見落としたために、救える命も救えなかった」というものです。 「子どもたちのサインを大人が簡単に見落とす、それが問題だ」と…。

 本当だろうか?私はそれだけではないと思っています。

  多くの人はサインに気づいていても、気づかないふりをするのです。
見て見ぬふりをする。自分の人生と関わりがない (はずの)ことには、目をつむる。それが虐待問題における一番の「問題」ではないでしょうか?

 日本社会の同質性、均一志向性というのは、人々がイケスを回遊する魚の群れと同じような状態にある、ということを意味します。

 皆が同じ方向を向いて走る。他人と違う行動はしない。隣の仲間が網にすくい取られて、活き造りになろうが眼中にない。自分や家族が、いつかそういう運命に遭うかも知れないなどとは、考えることすらしない…。

 虐待問題の解決困難さは、私たちのそのような「われ関せず」心理に根ざします。自分のこどもは大切に育てているのだから、よそのこどもが保護者からどのような扱いを受けようが知らない、と考えている大人が多いと思います。しかしこれからは、それでは済まなくなります。

  ある児童が虐待(身体的、性的、言葉による、もしくは養育の放棄)を受けているかも知れないと知った者、見聞した者は、それが直接的であろうと間接的であろうと、児童相談所に通告する義務がある、というように法律が変わりました。

 これまで私たちは、自分のこどもだけをつつがなく育てあげればそれで十分だと思ってきたのですが、これからはそう簡単にはいきません。 未成年には保護を受ける権利があり、私たち大人は、どのようなこどもにも、その権利を保証してやらねばならない義務を負っているのです。
【あとがき】一年間のご愛読に感謝しつつ、新しい年の幸多きことをいのります。

発行:(医)一木こどもクリニック (責任者 一木貞徳) 2001.12.29:宗像市大字東郷394 TEL 0940-36-0880

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