ふくろう通信1998-12

               一木こどもクリニック便り 1998-12月号 【通算第24号】

今年もあとわずか。皆様にはよいお年をお迎えください。一年間この通信をご愛読くださった方々に感謝いたします。それでは98最終号をどうぞ。

【こどもの病気の診かたと看かたQこころの発達、その3】

思春期のこどもは、自分でもコントロール不能の突然の怒り、無力感、正義感、暴力的感覚、などに支配されます。時として、自分自身を価値のない者とみなしたり、他人をたいした根拠もなくさげすんだり、きわめて情緒の不安定な心理状態にあります。

その一方で、この時期ほど自分自身を認めて欲しいと思っている時期は、おそらく他にないでしょう。まだ自活できる能力はないわけですが、しかし親から離れたい、自分ひとりになりたい、一人前と認めて欲しい、それなのに、実際には何もできない、そう感じているからこその焦り、いらだちが、親兄弟への暴言、攻撃性になるのです。

自分自身に対する肯定的な受け入れのよりどころは、「あの時の自分は、今の自分と同じ自分である」という揺らぎない確信です。その確信を支えているのが、乳児期の母親との親密なスキンシップの体感、幼年時代父親に教えてもらった自然の秘密、ギャングエイジを通しての、幅のある年齢層の仲間との冒険…等々の記憶なのです。

思春期の荒波の中で苦しむこどもにとって、「ここにいるオヤジは、自分が幼かった頃にいっしょに遊んでくれた、いろいろのことを教えてくれた、ときどき殴られたけれど、ポチが死んだときには一緒に悲しんでくれたあの父さんなんだ、そして今苦しんでいる自分は、あの時父さんと遊んでいたのと同じ自分なんだ」、と認識できたときに初めて父親の存在が意味を持つのです。時間・場所・経験の共有が必須です。

こどものこころの中で生きつづけていない父親は、こどもが思春期にさしかかる頃に、急に父親ぶって威厳を示そうとしても、まるで相手にしてもらえません。
「オヤジは俺に何もしてくれなかったじゃないか」となるのです。「何でも欲しがるものは買ってやったじゃないか」など言うのは、まったく的外れな考えです。

こどもはあれが欲しいこれが欲しいと言いますが、それらをすべて与えたからといって、精神の成長には役にたちません。本当に欲しかったのは、父親との遊び時間であって、モノではないからです。肯定的な父親イメージをはぐくみながら成長できるか否かは、どのくらい遊びを通して時間・場所・経験を共有できたかによるのです。
肯定的な父親のイメージとは、こどもにとって必ずしも「自分が成人になったらそうなりたい」父親像とは限りません。「オヤジは尊敬するけど、あの酒グセの悪さだけはどうにもガマンできん。俺は絶対酒飲みにはならん。」とこどもが考えたとすれば、それはそれで立派な反面教師として父親の存在価値はあると考えられるのです。

こどもは自分から母親を引き剥がした父親と闘いながら、自分自身の精神の核を作ります。その闘いのエネルギーで、思春期の荒波をなんとか乗り越えて成長するのです。 母親と一心同体であったこどもに闘いのエネルギーを与える力、それが父性です。 優しいだけの父親ではこどもが思春期を乗り越えていくためのバネにならないのです。

どの家庭にもおとずれる家族の危機

家族はこどもの成長とともに成長し、成熟していきます。その過程で、いつか必ず家族の危機というべき状況がおとずれます。それは家族の誰かの事故や病気による入院であったり、火災や震災による家屋財産の損失であったり、イジメや学校友達とのうまくいかない交友関係であったり、また父親や母親の失業、夫婦の不仲であったりします。天災人災を問わず、それらは突然に襲ってきます。

そのような家族の危機に際して、父親がきちんとしたリーダーシップをとり、適切な問題解決能力を示せるか否かを、こどもたちは、彼らなりに見つめています。 こどもがイジメにあったようなときに、「こどものこと、学校のことは妻に任せているから」と逃げる父親がいれば、その父親はこどもにとっては存在しないのと同じです。
父性の復権か創造か?

かつて林道義氏(東京女子大学教授、ユング派の心理学者)は、今日の子育てに欠けているものとして「父性の復権」を唱えました。世の父親よ奮起せよ、と呼びかけたのです。

これに対し、同じくユング派心理学者で、かつ卓越した心理臨床家でもある河合隼雄氏(京都大学名誉教授)は、「父性の復権など有り得ない。日本の父親にはもともと父性などなかったのだから、有り得るとしたら、父性の創造だ」と反論しました。
ここでいわれる父性とは、西洋社会でいわれるところの父性のことです。西洋社会と日本社会における親の役割を理解する必要があります。

西洋社会と日本社会での父親、母親の位置関係

西洋社会における家族は、大地としての母の上に、大きく枝葉を広げる大樹としての父をイメージすればわかりやすいでしょう(図)。
父親は、家族を代表して神に祈る総代として、また日々の糧(かて)を家族に分け与える分配者として、精神的、身体的な支柱となります。だれの目にも見える存在です。 外部からも家族成員の一人一人の顔かたちがよく見えます。成長して、枝葉の外へでることもそれほど困難ではありません。家族成員のきずなは幼い頃からゆるやかで、個人の自由度は高いと考えられます。個人レベルでは開放系と見なすことができます。
しかしイエスがあえて、「汝の隣人を愛しなさい」と説かなければならなかったことからわかるように、もともと西洋社会においては、隣人は敵であったのです。 このことは、アメリカに留学中の日本人高校生が、ハローウインの祭りのときに、まちがって訪れた民家で、そこの主人に射殺された事件を思い起こせばわかるでしょう。



これに対して、日本の家庭では、家族の目に見える中心は母親です。大黒柱として中心にそびえています。山の神ともいわれ、不動の存在です。一方、父親はほとんど家族の成員からは見えていません。父親は透明な存在で、箱のようなものだからです。

しかし、内部の者がこの箱から外にでようとするときには、突然実体のあるものとして立ちふさがります。箱の支配は、箱の内部すべてに及びます。
箱入り娘が箱からでることができるのは、別の箱に入るときだけです。

外部の人間には、箱つまり父親、あるいは「家」の姿だけがよく見えます。家族成員の一人一人の姿は外部の人間には見えません。きずなが強いというよりは、見えない箱にぎゅうぎゅう閉じ込められているようです。個人レベルでは、閉鎖系となります。 箱から脱出するために、しばしば箱の破壊(家庭内暴力)という現象が見られます。

箱と箱の付き合いは寛容です。今日でも、味噌醤油の貸し借りや、貰い湯などの風習を残す地方があります。隣人は敵ではなく、村落共同体を維持する仲間なのです。

西洋社会では、こどもは乳児期から、両親とは別のベッドで育てられます。幼いうちは、言葉でも腕力でも、徹底的にしつけられますが、成長にしたがって親は口を出さなくなります。小学校高学年になる頃には、かなりの自由をこどもは得ます。

日本では乳児期から幼児期まで、場合によってはもっと後まで、こどもは両親と川の字になって寝ます。家族員のプライバシーなどというものは存在しません。
幼いうちはたっぷり甘やかされますが、成長とともに両親の干渉がひんぱんになってきます。思春期頃には、四六時中、透明な視線で監視されるようになります。

日本型育児を志向し始めた米国社会

ところで、母性社会である日本には日本だけの育児があって当然ではないでしょうか。必ずしも「父性の創造」などと努力しなくてもよいのではないか、隣人を敵視するような国の「父性」などマネする必要はない、そんなものなくてもよい、と考えられます。

実際、近年になって、父性社会の本家であるアメリカ合衆国でも、乳幼児期の母子の十分なスキンシップを推奨する方向になりつつあります。両親が乳児といっしょに寝る習慣の日本型育児が注目されています。母親が乳児の世話にかまけても、父親はそれを受け入れ協力する、そのことを西洋社会が見習いはじめつつあるのです。
父親は子育てにどのようにかかわれるか

日本の父親に必要な「父性の創造」とは、決して西洋社会における「父性」の創造ではないはずです。しかし無意識的に行動しても大きくは狂わないであろう母性、すなわち母親の育児行動にくらべると、父親のそれは、こどもの発達の理解に立脚した意識的なものにならざるをえないでしょう。

基本的なしつけは、最初の6歳ころまでにほぼ決まりますから、社会的規範(ルール)を教え、限界状況を正しく設定してやることは、父性を体現するべき父親の役割です。

こどもが成長していくにつれて、父親はこどもの遊び相手、不思議発見の協力者、共同探検者となるべきです。思春期にさしかかってくれば、こまかいことに口をださず、ゆれうごく心の理解者、共感者となれるよう努力すべきです。

多くの時間・場所・経験をこどもと共有することのできた親子は、こどもが困難な思春期にさしかかっても、おそいくる悩みのほとんどを、共に乗り越えることができるでしょう。こどもの精神発達に深く関われた親は、自身が大きく成長できるからです。

磁石にNとSの両極があるように、父親と母親は互いに異なり、かつ補完しあう存在であることが、こどもにとってもっとも望ましいのです。100%母性の母親や100%父性の父親はいないはずですが、両親の示す親役割のバランスがうまくとれていれば、こどもはくり返し反発しながらも、確実に成長発達をとげることが可能でしょう。

こどもから見てモデルとなりうる父親とは、あまり口をださないが、常にこころを家族の方に向けてオープンにしている、その姿勢が感じられる存在です。両親が仲良く会話のできる家庭であることも大切です。簡単なようで、大変難しい問題です。結局子育ては、夫婦がどのような家庭を築いていけるのか、という点に帰着するからです。

【お知らせ】
年内最終診療は30日午前11:30受付分まで。急患センターは午後2:00より開始です

発行:(医)一木こどもクリニック (責任者 一木貞徳) 1998.12.14 
住所:宗像市東郷下ノ畑394 TEL 0940-36-0880

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