1999-11

            一木こどもクリニック便り 1999年11月号(通算35号)

プロ野球日本シリーズも終ってみれば地元福岡ダイエーホークスの圧倒的勝利。野球解説者なる無責任な職業の意味と食えない味をしみじみかみしめています。食欲の秋。

【こどもの病気の診かたと看かた(29)からだの異常とこころの異常

からだの病気とこころの病気では、対応がまったくちがうはずだ、と思われているようですが、実はほとんど変わりません。

私たちがからだの病気になった時のことを想像してください。例えば、車の故障とからだの故障とはどこが違うのでしょうか?

車の故障というものは、車自身の努力で治ったり自然に治るということがありません。

ところが、私たちには自然に治る力が生まれつき備わっているのです。この能力を、 自己治癒力(じこ ちゆ りょく)と呼びます。

この能力は、生まれた直後にはとても弱いのですが、成長とともに、少しずつ強くなっていきます。だいたい6歳頃になると成人と同じレベルになります。高齢者ではふたたび低下し始め、80歳を過ぎると非常に低下します。
しかし、成長とともに強くなっていくとはいっても、病気を経験しなかったら、いくら待っても強くなりません。水泳や自転車のりと同じで、失敗をくり返しながらの練習によってのみ、この能力は獲得されます。病気という失敗を通して得られる学習効果なのです。
ですから、病気にかかることをおそれてはいけません。かかっても大事にいたらない工夫があるはずです。

どういう工夫かといいますと、本来だれもが持っている、この自己治癒力を目いっぱい発揮できるように、少なくとも足をひっぱらないように注意する、ということです。

たとえば、インフルエンザなどで高い熱をだすことがあります。その熱で頭が変になるのではないかと心配するあまり、最初からドカンと解熱剤(げねつざい)を使ってしまう、そういうことが少なくありません。

しかし、からだは決してむだに熱をだしているわけではありません。何とか自分で治そう、とせいいっぱい努力しているのです。

そのための熱なのに、少しでも体温が上がったらすぐに下げられてしまう。治療しているつもりで足をひっぱっているわけで、まずいことをしている可能性があります。

私は、高熱の患者さんに対しては、それが何らかの病原体によるものであれば、熱を下げずに、漢方薬などで逆に体温を上げる治療をすることがあります。

すると翌日か翌々日には下がるのです。 からだが自分で治そうとしている力を信じて、それを助けるほうが早く治るのです。 これは、いくらコンピュータが進歩しても、車や機械にはとうていできない芸当です。

では、この自己治癒力という、神様が与えてくださったすばらしい力は、からだの病気に対してだけ備わっている能力なのでしょうか? もちろんそうではありません。

こころを有する動物である私たちヒトには、こころの自己治癒力も備わっているのです。

こころにダメージを受けたときに、私たちは、それまでの人生で自分が経験し、手にしてきた、あらゆる状況の記憶、感覚、想像力、それらを総動員して、何とか自力で、そのダメージから抜け出そうと努力します。

無意識的あるいは意識的な葛藤(かっとう)や格闘(かくとう)をくり返し、どうしてもこころのダメージから回復できなかったときに、初めて、はためにもわかるほどの、いろいろな異常が現れてきます。たとえば、

 @ 自己のからだの拒否
   腹痛、吐き気、下痢、食欲不振、不眠、めまい、手足のしびれ、髪が抜ける、
   湿疹、体重減少、呼吸困難 、自傷行為、自殺企図、など。
  A 他者との共同行為の拒否 声がでにくい、目が見えない、耳が聞こえない、
   引きこもり、帰宅拒否、徘徊=はいかい、不登校、出勤拒否、など。
  B他者の身体あるいは財産への攻撃 学校器物損壊、ストーカー行為、
   セクハラ行為、万引き、強盗、殺人、など。

これらを、自力で処理できるかどうかは、それまでの人生で、どれだけ家族や他者との関わりを築いてきたかにかかってきます。

つまり、自分自身を信頼できるか否か、そのことがこころの病気からの回復には、もっとも大切なポイントになってくるのです。

からだの病気の場合には、病気を数多く経験すること自体が、病気に耐えるからだを作ってくれるのですが、こころの病気でもまったく同じ。家族、兄弟、友人、世間の荒波にもまれないで、箱入り息子や娘に育ってしまったら、いざというときに、たちうちできず、やられっぱなしになります。

だから、多くのまさつを経験することが、タフな人生にはどうしても必要なのです。

からだの病気もこころの病気も同じように、どういうケアーをしていけば、自己治癒力をそこなわずに病気と闘えるのか、それを患者さんやご家族と一緒に考えます。

患者さんの側としては、原因や理由をあれこれ探り、悩む必要はありません。
なってしまったものは仕方がない。
それよりも、次にどうすべきかを考えます。

また、原因にはこだわらないという方でも、 「おまかせするから、しっかり治してね!」式の方が結構おられます。しかしそれでは、せっかくこどもさんが病気で苦しんでいるのにもったいない、と思いませんか?

病気に立ち向かうのは、「自己治癒力」を備えた患者さん自身。それを家族が支え、私たち医療の専門家がリードしていく。 それがあるべき医療の姿だと信じています。

こどもさんの病気という、親にとって最もつらい体験をするのですから、何かをつかんで立ち直る、「元を取り戻す」ことが大切だと私は考えています。そのことを日々の診療の中で、ご家族に気付いていただきたいと願って、この通信を書いております。

発行:医療法人 一木こどもクリニック 1999.10.30
住所:宗像市東郷字下ノ畑394 TEL 0940‐36‐0880

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