こどもの病気の対応
―注意欠陥/多動性障害(ADHD)その@―
学校などからの要望が強く、この病気のこどもさんに関わる機会が最近増えておりますので、これから2回にわたり、ADHD児への対応について述べてみます。なお、この稿は筑波大学心身障害学系の宮本信也教授の論文(注意欠陥/多動性障害の診療)を参考にさせていただきました。原著論文については「北海道こども診療内科氏家医院」HP(http://www.d3.dion.ne.jp/~ujiie)をご覧ください。宮本先生の論文も詳細なものですが、氏家先生のHP全体が、こどもの心に関心を持つ方々に、是非訪れていただきたいサイトです。

ADHDの基本症状は、@注意の持続ができない、A多動性、B衝動性(突然に同級生を殴ったり、首を絞めたり、女子の胸を触ったりする)の3つです。とくに衝動的行動は同級生や周囲の大人から非難の対象になります。「何でそんなことをしたか?」「どうしてそんなバカなことをするのか?」「少しは周りの迷惑も考えろ。ルールを守れ」となるのです。  

しかし、本人には、衝動的な行動の理由を問われることは理解できません。彼らは目的を思い描いて行動するということができず、思いついたまま行動しているだけなのです。善悪の判断は可能ですが、それ以前に、予告性、予定性を欠いた行動にでてしまうのです。いちど頭の中で模擬練習して実際の行動に移すという回路が作動していません。

こういう回路が作動しないというのは、生まれつきの脳機能の異常と推定されていて、育て方とか家族の問題とかに直接の関係はありません。それは一次的な異常であり、離れ小島に生まれたとしても、やはり集中力がなく、多動で衝動的な子になってしまうでしょう。

重要なことは、この一次的症状に対しては、メチルフェニデイト(商品名リタリン)という薬が、効果があるとされています(有効率70%。ただし衝動性にはあまり薬効が期待できない)。

一方、このような異常をもった子どもは、親の目には、育てにくい、扱いにくい子ども、トラブルの多い子どもであるように見えます。

育てにくい子どもを最初から過不足なく、上手に育てることのできる親は少数派でしょう。ほとんどのケースでは、小さい頃から、あらゆる行動に注意をし続け、叱り続けるという対応をとってしまうでしょう。それが積み重なって、ADHDのこどもと親の関係はこじれかねません。

つまり本人には責任のない、ADHD児として生まれたという事態によって、二次的に、他者との関わり(家族および社会的関係)における障害が発生してきます。

理解できない問いかけや、「おまえは困り者だ」というレッテルを、成長の過程で家族とくに親から言われ続け、学校では教師、同級生や下級生(の親)などから絶えず受け続けることにより、ADHDの子どもは、自分を価値のない人間だとみなし、もの心ついた時から自尊心の低い心理状態の形成へと結びついていきます。

自己へのプラス評価を築くことに失敗すれば、他人との情緒的関わりも困難となります。他者を受け容れ、それに何らかの相づちを打つ、あるいは反対意見を述べるということが、私たちの日常生活の中では多くの時間を構成しているからです。

このような二次的障害、対人関係の歪みがADHD児の社会的予後を規定します。一定の作業が上手であるとかいう技術的なスキルよりも、他者と安定して関われるか否かということの方が、実際生活では、より大切なことになってきます。しかし、自尊心の低さや情緒不安定さに対しては、薬物療法は期待できません。それらに対しては、衝動的行動を、突発的でなく自己予測可能な行動へと変容するようにみちびく作業、カウンセリング的関わりが不可欠となります。次号では、ADHD児への具体的な関わり方を展開する予定です。
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